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最初の10年はボロボロでした。

実は、最初の10年はボロボロでした。

実は、最初の10年はボロボロでした。
インストラクターを育てては辞め、育てては辞めの繰り返しでした。

辞めるだけなら良いのですが、
当校の生徒を連れて行き、
自分の教室を立ち上げるケースも相次ぎました。

残念ながら、当校在籍中はとてもよく頑張って、
生徒集めに貢献してくれたスタッフほど、
自分の教室を持ちたがったのです。

当校に在籍したスタッフはいずれも、
デビュー経験もない、
あっても鳴かず飛ばずだった子ばかりです。

そんな子たちが、
歌を教えるという技術を教えてあげることで、
徐々に稼げるようになって行きます。

僕は母親に、
『音楽で食べて行くのは大変』
と、さんざん言われていたので、
音楽で食べて行けるスタッフを育てることに尽力しました。

インストラクターの仕事だけで、
20万円以上稼ごうと思ったら、
生徒さんの数で言うと50名以上は教えないと
到達しません。

20万円では、決して裕福とは言えませんが、
音楽で稼げる喜びを提供したかったのです。

レッスンは全てマンツーマンなので、
着任早々は、担当生徒は誰もが0人です。

体験レッスンから、
一人ひとり地道に増やして行かないといけないので、
50名以上になるのに、大体2年ほどかかります。

やっとこの子も50名に到達したと思ったら、
『辞めさせてください』
と言われる。

そして、
当校が広告費をかけて集めた生徒さんを
持って行って、
自分の教室を立ち上げる。

初めはLavocで入ってきたかもしれませんが、
今は私の生徒です

とか、
美容院の世界では、
担当してたお客さんを連れて独立するのは
当たり前です

のような、耳を疑う主張をして去って行く。

そんな事の繰り返しでした。

10年目のどん底

2度・3度大きな苦難を乗り越えて、
10年目を迎えようとした頃、
やっと創業当初のような勢いのある教室として、
復活してきた時期がありました。

当時のスタッフは4人。

スタッフ同士の仲も良く、
4人で旅行なんかにも行くほどでした。

その4人から、
もっとこの仕事をしたいから、教室を増やして欲しい
というリクエストがありました。

それまでは仕事よりも、
自身の音楽活動を優先するスタッフが多かったので、
珍しいこともあるものだなと思いました。

でも、そんなリクエストに応えない理由はありません。

そこから半年かけて見つけた物件が、
今の新宿校です。

『ようやく物件が見つかったよ。
2か月後には、新しい教室をオープンできるよ』
と、4人に伝えた翌日でした。

教室で仕事をしていたら、
4人が揃って教室にやってきました。

そして、
辞めます。4人全員辞めます。
と、言ってきたのです。

4人のリーダー格は、
今日のレッスン全部キャンセルして
と、他の3人に指示しました。

社長である僕に無断で、
僕の目の前で、
その日のレッスンは全てキャンセルされました。

そして、
『あなたを人として信用できない』
こんなことを、10時間ほど言われ続けました。

当時、僕は42歳。

ボーカル教室を創業して10年目。
ウォール街から、金融プロフェッショナルとしてヘッドハントされ、
自費で1000万円貯めて、ボストン大学MBAを卒業して、
外資系金融マンとして10年働いたこともある僕が、
社会人経験もないか、あってもわずかな
30歳前後の当校で育てた女性インストラクター4人に、

あなたより、私の方が経営の才能がある
あなたはいつも偉そう
あなたはミュージシャン・シップに欠ける

こんな事を、言われ続けました。

そして、この半年後、
4人は一斉退職し、
生徒の70%を連れて、
当時教室のあった下北沢から、
すぐ近くの三軒茶屋に自分たちの教室をオープンしました。

後から調べて分かったことですが、
4人は自分たちの教室オープンに向けて
用意周到でした。

生徒さん一人ひとりに、
『ここの社長に、劣悪な環境で働かされている。
私たちは、耐え切れなくなったので、自分たちの教室を作ろうと思います。
私たちの教室に来てくれませんか?』

こんな話を、生徒さん一人ひとりにしていたのです。

当校に残って下さった生徒さんからも、
『あの子たちを、イジメてたの?』
と、聞かれる始末。

その4人も、採用した当初は、
音楽で稼げるなんて夢みたいです
とか、
感謝しても、しきれないです
と、言ってくれていた子たちばかりです。

自分たちの教室を持つという
夢を持つことは素晴らしいです。

しかし、
人に迷惑をかけたり、
恩を仇で返したりしてまで、
達成することに、何の価値があるのでしょう?

撤退か、継続か?

そんなどん底を味わった当時。

生徒さんは100人程度で、月謝は1人1万円。

70人退校したので、月商30万円。

1校目の下北沢の家賃と、
新しく契約した新宿校の家賃さえ払えません。

それなのに、
新たに採用するための広告費と研修費。

着任したら、お給料代。

新たに生徒募集するための広告費。

毎月70万~80万円の赤字になり、
貯金を切り崩して、
立て直しを図っていました。

家族には、1人目の息子が生まれたばかり。

悪いことは続くもので、
母親のすい臓がんが見つかり、
看病もしなければなりませんでした。

僕の身の回りの状況を考えたら、
ボーカル教室事業から撤退する方が、
賢明であったのかもしれません。

しかし、
僕のそんな状況を知りながら、
自分たちの教室を作るために暴走した4人が、
許せませんでした。

『絶対に見返してやる!』
という思いしかありませんでした。

どん底の決心

但し、この時、今思うと、
僕は相当心が病んでいました。

人に会うのが嫌になり、
人と話すことさえ嫌になっていました。

そんな事は、人生初めてのことでした。

この時、思い出したのが、
中学・高校時代にやっていた
陸上競技の800M走でした。

800M走の一番キツいのは、
600Mから700M地点。

結構な距離をほぼ全力で走ってきたのに、
ラストスパート競争の直前なので、
少しずつペースが上がります。

この一番苦しい時に、
何をしなければならないか?

それは、全開でアクセルを踏むこと。

自分にとって一番苦しいことをしない限り、
勝てない。

その教訓が蘇り、
どん底で考えたのが、
『今、自分にとって一番苦しい事とは何か?』

それは
人を信じること
でした。

人に会いたくないという心境になっていた僕にとっては、
『人を信じること』が、最もつらいことでした。

ならば、『人を信じよう』と決心して、
面接に来た人を全員採用しました。

人が足らなかったということもあります。

しかし、それより、
自分には人を見る目がなかったのかもしれない
という自戒の念も込めて、
普段では採用しないような人も採用しました。

3時間×6回 
3ヶ月の研修を終えて、やっと着任。

辞めて行く4人には、
新しく着任するインストラクターたちのために、
生徒さんの引継ぎだけはしっかりやって欲しいと
お願いしていました。

しかし、
その願いはむなしく、前述の通り、
元居た4人は、
一人でも多く自分たちの教室に連れて行こうとして準備をして、
100人中70名を持って行きました。

新しく着任したインストラクターも、
『これからこの生徒さんたちを教えて行くぞ!』
と、意気揚々としていました。

しかし、4人の退職と同時に、
教えるはずの生徒さんがいなくなってしまったので、
新しく採用したインストラクターたちは、
労働の機会を奪われてしまいました。

この時、
状況を理解し、僕に同情的なスタッフもいました。

一方で、
『元々、自分の教室を持ちたいと思っていたので、ちょうど良かったです』
と言って、3ヶ月の研修が終わると、
さっさと辞めて行く人もいました。

他にも、
『この仕事でメシが食えるようになりたいです』
と言いながら、
同僚の女性スタッフとユニットを組んで、
自身の音楽活動にばかり熱を上げる人。

ミーティングに平気で遅れてくる人。
ミーティング中に、居眠りしそうになる人。

体験レッスンで、何回失敗しても、何も気にしない人。
担当生徒がどんどん退校しても、何も気にしない人。

色んな人がいました。

学生の頃、僕は
クラスでは学級委員、
体育祭では応援団長、
アルバイトでは時間帯責任者、
といったポジションで、
チームを率いるという経験は多い方だったと思います。

でも、経営者になると、
どうしてこうも上手く行かないのか
ということに悩んでいました。

野村克也さんの本に出合って

そんな折、
野村克也さんの『野村ノート』という本に出合いました。

野村克也さんは野球ファンはもちろん、
弱小チームを率いて優勝までさせてしまう
マネジメント力は様々な分野で評価されている方です。

『野村ノート』には、
そのマネジメントの智慧がいっぱいありました。

  • 教育こそ監督に求められる第一の使命
  • 人間教育が出来て初めて育成と言える

このような言葉に感銘を受けて、
早速取り入れることにしました。

『何のために、生まれてきたのか?』
『人生で、何を為そうとしているのか?』
『仕事とは何か?』
『どのように働くべきか?』
『社会人とは何か?』

こうしたことを、
野村克也さんの『人間教育』という言葉を借りて、
ミーティングに取り入れて行きました。

それと同時に、
僕が元居た4人に何をされたのかという話を、
カッコ悪いとか、恥ずかしいという気持ちを押し殺して、
赤裸々に語るようにしました。

すると、
共感してくれるスタッフと、
そうでないスタッフにはっきり分かれるように
なって行きました。

人間教育の話になると、
ポカンとする人、
苦々しい顔をする人。

そうした人は、
マラソンの先頭集団から1人2人と脱落するがごとく、
辞めて行きました。

この『人間教育』を取り入れて、
価値観を共有できるスタッフだけが残り、
一時期とても結束力の強いチームになれたと思います。

一時期というのは、
僕自身がまだまだ人として未熟であることに尽きるのですが、
この『人間教育』にも、
今思えば課題があったように思うのです。

それは教育の一環で、
正社員になることを薦めた時期がありました。

音楽業界に革命を起こそう
という目標も掲げていたので、
他のアルバイトも掛け持ちしながらのスタッフに、
この仕事にかけてみたらどうかということを
強く薦めてみたのです。

結論から言うと、大失敗に終わりました。

インストラクターにとって、
一番大切なのは自身の音楽活動です。

それで成功するために、
両親の了解の有無に関わらず、
正規雇用という安定を捨てて頑張っています。

その根幹に関わることについては、
触れるべきではなかったと反省しています。

『人間教育』もある程度の効果はあったと思いますが、
今では中断しています。

どちらかと言うと、今は『傾聴』することに注力しています。

スタッフが何を考え、何をしたいと望んでいるのか、
それをしっかり受け止めようと思っています。

こう思えるのも、
ようやくスタッフに恵まれたからかもしれません。

組織を率いるということに、
正解や勝利の方程式があるのなら、
教えて欲しいです。

学生の頃、
楽しかった文化祭ライブのようなイベントをまたしてみたい
と思って始めたボーカル教室。

日本中の音楽好きな大人たちが、
童心に戻ってエントリーできる<本気>ライブ。

その実現に向けて、
これからも日々精進して行きたいと思います。

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